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ローマ内戦 (192年-197年)では、192年から197年に起きたローマ帝国の内戦について記述する。一般には193年に5人の皇帝が擁立されたことで五皇帝の年(英語:Year of the Five Emperors)と呼ばれる。 厳密には192年12月31日のコンモドゥス帝暗殺から始まったため、193年からの内戦である。 ==五皇帝(五人の帝位請求者)== ===ペルティナクス=== ヘルヴィウス・ペルティナクスは一兵士から百人隊長となり、軍団司令官にまで栄達した叩き上げの軍人だった。 軍事能力を評価されてアウレリウス帝・コンモドゥス帝を通じて要職にあったペルティナクスは、コンモドゥス暗殺の際にはローマ防衛を預かる首都長官の職にあった。ペルティナクスは暗殺の実行者であった近衛隊長クィントゥス・アエリウス・ラエトゥスを支援していた。暗殺翌日の193年1月1日にペルティナクスとラエトゥスは会談し、皇帝即位に関する密約を交わした。 即位したペルティナクスはマルクス・アウレリウス帝を手本にした緊縮財政と文化統制を行ったが、アウレリウス帝ほどのカリスマ性や政治的基盤(彼は解放奴隷の子であった)を持たない中での性急な行動は元老院や民衆との不和を招いた。早くも3月にはオスティア港訪問中に元老院の反対派による暗殺未遂事件が起きている。 加えて軍縮の一環として近衛隊に対する即位時の特別給金(ドナティブム)を行わず、更に給料を半分にするなど冷遇してラエトゥスとの関係も冷却化させてしまった。これは元老院と対立するペルティナクスを一層に孤立させ、最終的には在位83日目に宮殿に乗り込んできた反乱兵に殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ローマ内戦 (192年-197年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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